– 学生時代からのお話をずっと伺ったのですけれども、堤先生は、シュタルケル先生みたいに二つの輪、教育と演奏とをいつも両輪とされているのでしょうか?
そうですね、私の場合には、もう留学三年目からティーチング・アシスタントをさせていただいて、本当に教えるっていうのをずうっとやってきましたし、ある意味で、自分が演奏することによって得たものを次の世代に渡して行くっていうのは、すごく大事だと思ってます。
僕は一度、シュタルケル先生に聞いたことあるんですね、「先生みたいに本当にトップであれだけ素晴らしい演奏をされていらっしゃったら、それこそもっともっと忙しく演奏活動が出来るのじゃないですか?」って。そしたら先生は、
“いや、演奏っていうものは、自分が届けられるメッセージは、まあ大きなホールでも二千人が限度だ。でも教育を通じたら、これがどんどん、どんどん、広がって行く、もう二千人どころじゃない、何万人にもだ。だから自分はその教育というものをすごく大事にしている。”っておっしゃって。
そういう精神って言うかな、そういうお考えを持った先生がやっぱりブルーミントンに集まってるんじゃあないかな、と私は思っていました。教育ということを本当に大事にして、それがどういう意味であるか、どういう事なのか。
また逆にそういう人を、雇う側としては選んでいるんだろう、と思うんだけど。
₋ 何年か前にシュタルケル先生が亡くなられ、その後堤先生は桐朋学園の学長をなされて、 今はサントリーホールの館長をなされていらっしゃいますけれども、これからどのような方向に進まれるのか、お考えはありますか。
そうですね基本的にはね、本当にどういう形で教えるとか、それから演奏活動にしてもね、そのなんて言うのかなあ、これサントリーのロゴじゃないけど、”響”というものが広がっていくように、いろんな意味で役に立てたらな、とは思いますけれどね。
ある意味でその学長とか館長とかね、はっきり言ってまあ大変は大変ですし、責任が大きいですよね、いろんな意味で。特にどういう方向に行こうとか、どういう事とかは無いのですけども、私としてはそういう役目をできたら立派に果たしたいなと。自分ができる範囲だけども、そういう形で自分が出来ることを出来て、いくらかでも池の水に石を打ったら、水の輪がこう広がってゆくような感じで、私の場合は芸術を通してですけれども、ある意味で社会貢献というのかな 、そういうのをしていきたいなと思っています。
それが実はもともと IUの教育だったんじゃあないかなあ、というような気が今ではしていますけどね。うん、最初にウィーノルドさんがおっしゃった全人教育とは、そう、こういう意味だったんだなあっていうのを。
– ああ、なるほど、そこに繋がっているのですね。
₋ 今もすごくお忙しいと思うのですけれども、演奏会の数は昔と比べそんなに変わってはいらっしゃらないですか?
んー、でも逆に数そのものは前ほどではないですからね、もちろん、はい。
まあでも、できるだけね自分としては、自分がある意味で本当に自分のメッセージを伝えられるのは、やっぱり演奏かなと思っていますので。それを伝えるという意味で、演奏活動はできるだけしていきたいし、演奏できるっていうのがほんと有難いな、と思っています。まあだから身体が続く限りやっていきたなと思っていますけれどね。
– チェリストとして、何か変わったとか開眼したとか、何か最近そういうことはございますか?
まあ開眼までは行かないけれど、やっぱりこのコロナで、ずっと家に居なくてはならなくて、本当に3ヶ月半ぐらい何もできなかったわけですよね。でもそれまでね逆にいつも忙しく駆けずり回っていましたので、ある意味で自分を見直すとか自分を見つめ直すとか、自分がどういうことが出来る、自分の演奏はこうしたいとか、何て言うのかなあ、自分はじゃあこういうことが出来るんじゃないかとか 、こういう風にしていいんじゃないかと、そういう風に考えるチャンスがあったというのは、すごく、まぁコロナ様様って言うと今度はみんなに袋叩きに遭っちゃうかもしれないけれど、(笑)そういう意味で、自分としては逆に本を読む時間があったりとか、いろいろ考える時間があったりとか、本当にそれまではね、散歩とかあんまりしなかったんだけど、そういう風にこうちょっと歩いていろいろ考えてみたりっていう時間的な余裕が出来たっていうのは、逆に自分にとっては有難かったかなと思ってます。
だからチェロが急に素晴らしくなった、ってはならないけど。 (大笑)
– 貴重なお話をいただき、本当にありがとうございました。
いえいえ、どういたしまして。
おわり
(聞き手:服部恭典、鈴木弘一、河口津慶)(写真:河口津慶)